東京都中央区八丁堀二丁目8番5号
初代 戸田利兵衛
※連結消去を含む
(2023年3月期)
※連結消去を含む
(本社・研究所・13支店)
(国内18社・海外12社)
(2023年3月31日現在)
創業者の戸田利兵衛は、京都の工匠(大工)の四男として生まれ、1881年、30歳の時に東京・赤坂で「戸田方」として請負業を開始。早くから鉄骨造や鉄筋コンクリート造に取り組み、今なお東京・三田の高台にゴシック様式の秀麗な姿を見せている慶應義塾大学創立50周年記念図書館や村井銀行本店など近代建築史上に残る名建築を手掛けました。
慶應義塾大学 創立50周年記念図書館
この時期の代表的な仕事として、1914年に東京・上野で開催された大正博覧会の染織館や、はじめて日本人の手で完成させたアメリカ式ビルとして名高い東京海上ビルディングなどがあります。また、子がなかった初代戸田利兵衛の養嗣子として東京帝大卒の富田繁秋を迎え、繁秋は1920年に2代利兵衛を襲名しました。
富田繁秋・二代戸田利兵衛
東京大正博覧会染織館
1923年の関東大震災の罹災者用応急住宅12万戸のうち1万戸を受け持ち、全社一丸となって震災復興に従事。東京の小中学校鉄筋コンクリート化でも、20数校を請け負いました。この時期の主要工事には、早稲田大学大隈講堂をはじめ、日鐵釜石突提や、愛知・富山・栃木の各県庁舎、横浜税関庁舎などがあります。
1945年に終戦を迎え、日本国中が荒廃する中、いち早く国土再建に立ち上がったのは建設業でした。当社も日本全国に支店や営業所を設置するなど、全国組織の総合建設業としてのネットワークを確立していきました。
早稲田大学 大隈講堂
日鐵釜石突堤
高度経済成長期とともに当社も発展し、旧東京都庁舎、横浜市庁舎、早稲田大学文学部校舎など著名建築物を手がけています。1956年には土木部門を新設し、名実ともに総合建設業者としての組織を確立。土木工事においても粘り強く努力を重ね、都営地下鉄1号線押上地下鉄、箱根バイパス天狗橋などを施工しました。
旧東京都庁舎
箱根バイパス天狗橋
1963年に社名を「戸田建設株式会社」に改称。1969年には、東京証券取引所第2部への株式上場を果たし、その後、第1部に指定替えとなりました。1964年開催の東京オリンピックに向けて当社では建築部門で駒沢陸上競技場を担当、また関連工事として首都高速道路の数工区、さらに名神、東名の高速道路、新幹線工事と発足間もない土木部門も飛躍的な発展を遂げました。
また、オイルショックによる難局を乗り切り、本格的に海外事業をスタート。1972年にブラジル戸田建設、アメリカ戸田建設を設立、その後、韓国、ビルマ(現ミャンマー)、スリランカ、パラグアイ、ボリビア、リビアなどで工事を受注、数多くの実績を残しています。
駒沢陸上競技場
日本万博 スイス館
1981年に創業100周年を迎え、筑波技術研究所建設、研修施設の建設、戸田育英会の設立などを行いました。この時期の代表的な工事としては、東京都立広尾病院、福岡市美術館、昭和女子大人見記念講堂、歴史民俗博物館、つくばセンタービル、京都東急ホテル、対馬空港拡張工事などが挙げられます。
対馬空港
1995年に発生した阪神・淡路大震災では、全社を挙げての救援・復旧支援活動に従事。同年3月には神戸支店を設立し、復興工事の一端を担いました。また、2000年には建設会社で初のゼロエミッションを達成。環境課題解決のトップランナーを目指して、地球環境の保全・再生に取り組み続けています。
この時期には、横浜みなとみらい21のヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル、早稲田会館、飯田ダム、塩川ダム、JR東日本 大井町駅、長野オリンピックのアイスホッケーB会場、当社開発の掘削機を使用した長大トンネルの金田一トンネルなどの工事を手がけています。
ヨコハマグランド
インターコンチネンタルホテル
飯田ダム
2010年、ゼネコンとして初のエコ・ファースト企業の認定を取得。2015年には戸田建設グループグローバルビジョン「“喜び”を実現する企業グループ」を策定。また、優れた気候変動対策を行う企業として世界的な評価を受け、「CDP Climate Change A List企業」として認定。建設業界で初めて国際的イニシアチブ「RE100」にも加盟しています。
この時期には、丸の内オアゾ、宮崎県木の花ドーム、東海大学医学部付属病院、熊本県上津浦ダム、みなとみらい線馬車道駅などを施工しています。
TODA BUILDING